本日のテーマは古代インド史です!高校世界史ではあまり目立たないインド史ですが、インダス文明からマハトマ=ガンジーのプールナ=スワラージ、果てはBRICSまで、インドはいつの時代も国際的に非常に重要な位置を占めてきました。今日はそんなインドの古代の歴史、その中でも特に紀元前後の王朝の興亡史を中心に学んでいきます。
高校世界史では、古代インドでも特に重要と言われる4つの王朝を覚えさせられますよね。皆さん覚えているでしょうか?4つとも挙げられますか?年代順に4つ挙げられますか?
その4つの王朝とは……年代順に並べると、
マウリヤ朝、クシャーナ朝、グプタ朝、ヴァルダナ朝 以上の4つの王朝です。
30回くらい唱えれば覚えられるかと思います。笑
それではこれら4つのインドの古代王朝について、それぞれもう少し詳しくみていきましょう。
まずはマウリヤ朝についてです。マウリヤ朝は、紀元前4世紀後半にチャンドラグプタ王が建国した王朝で、アショーカ王(阿育王)の治世に最盛期を迎えました。マウリヤ朝に関して覚えておくべき点としては、ダルマによる支配が行われたこと、石柱碑・磨崖碑が設置されたこと、第三回仏典結集により上座部仏教(小乗仏教)が成立したこと、などが挙げられます。都はパータリプトラです。
次にクシャーナ朝(貴霜国)についてです。クシャーナ朝は、紀元前1世紀後半にイラン系民族出身のクジュラ=カドフィセス1世がバクトリア地方を征服して建国した王朝で、カニシカ王が全盛期を演出しました。またカニシカ王は、第四回仏典結集を行い、大乗仏教を確立したことでも知られています。クシャーナ朝の時世には、ガンダーラ美術が隆盛を誇り、ヘレニズム文化の影響を受けて初めて仏像が造られた事もおさえておきましょう。都はプルシャプラです。
続いてグプタ朝についてです。ガンジス川中流のマガダ地方におこったグプタ朝は、4世紀初頭のチャンドラグプタ1世以降強大化し、のち北インドを統一、4~5世紀のチャンドラグプタ2世(超日王)の時代が最盛期となりました。チャンドラグプタ2世の治世には、東晋の僧・法顕が陸路訪朝し、サンスクリット文学・グプタ美術の興隆・繁栄、ヒンドゥー教の定着といったことが起こりました。但しご承知の通りヒンドゥー教には特定の開祖がおらず、特定の経典もありません。また、ナーランダー僧院が建立されたのもこのグプタ朝の時代です。都はマウリヤ朝と同じパータリプトラです。
最後にヴァルダナ朝についてです。ヴァルダナ朝は、7世紀初めにハルシャ=ヴァルダナ(戒日王)が建国した王朝で、7世紀中頃までは平和で栄えましたが、ハルシャ王の死後は分裂して衰退しました。唐の僧・玄奘が来朝した事でも知られ、この時期のインドでは仏教は衰退してヒンドゥー教が発展しました。
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